【 政治倫理条例とは 】


cube_shiro.gif政治倫理条例の誕生

 政治倫理条例は、昭和58年に堺市で初めて制定された。これは、一汚職議員の居座りをきっかけに市政浄化の声が高まり、長谷川俊英市議(当時)らを中心とする市民運動が学者の協力を得て立法化に成功したものである。その骨子は、アメリカでウオーターゲート事件の反省から生まれた政府倫理法(1978年)に学んで、公職者の資産公開制度を第1の柱とし、さらに独自の工夫を加えて、公職者が汚職で有罪判決を受けた場合などの問責制度を第2の柱としていた。そして、資産公開の実効を期すため、政治倫理審査会を設置するとともに、市民の調査請求権を保障して市民監視の制度化を図った。


cube_shiro.gif政治倫理条例の発展

 政倫条例を時期的に区分すると、次のようになる。第1期は、政倫条例の基礎を築いた堺市条例と3年後にこれを承継発展させた飯塚市条例に至るまでの草創期である。この当時、資産公開は本人の名義のものに限っていた。第2期は、昭和63年の山田市条例から始まる、資産公開を家族名義のものに拡大した発展期である。第3期はその揺り戻しで、久留米市条例や佐賀市条例、熊本市条例のように、毎年の資産公開が義務づけられていない条例が制定された停滞期である。そして、第4期が、平成5年の芦屋町条例や小竹町条例、平成7年の筑紫野市条例、行橋市条例(改正)、赤池町、若宮町のように、新たな腐敗防止条項が盛り込まれた第2の発展期である。たとえば、芦屋町条例では、特定事業者の推薦・紹介の禁止、職員採用への介入禁止の条項が加えられた。また、小竹町条例では、企業・団体献金の全面禁止や贈収賄による逮捕後の説明会が、若宮町条例では、身内の請負契約の辞退届が義務づけられた。


CUBE_SHIRO.GIF - 3,201BYTES住民の課題

 しかし、政倫条例を生かすも殺すも住民次第である。資産公開制度や政治倫理基準は、住民が不断のチェックをしないと効果がない。汚職議員が居座ったときの説明会も、同様である。住民の調査請求権や説明会開催請求権が保障されているのは、そのためである。国の資産公開法がザル法であることは、その後の国会議員の不祥事によって誰の目にも明らかとなった。いまこそ、地方から政治倫理の確立を急がなければならない。そのためにも、全国各地の自治体で有効性のある政倫条例の制定と運用を図ることは、主権者・住民の共通の課題となっている。